ベルリンの壁は私の最大のトラウマ。
突然にこんな事を言い出したのは今日のトリビアの泉にベルリンの壁ネタが在ったからで在るのですが、
そもそも私のトラウマと言うのはベルリンの壁そのものに在る訳では無くて。
私の両親は私が物心もつかない、と言うか乳離れすらして居なかったで在ろう時に別れて居り、
私はありがちに母親に引き取られ、それからは父親と顔を合わせるどころか連絡を取るどころか父親の事を想う事すら皆無と言っていい様な育ちをしたのですが、
それは恐らく私が幸せで在ったからで恵まれて居たからで在ると思われるのですがその話は特に関係が無いので割愛、
とにかく私は父親を近くに感じて育っては居ないのです。
それに疑問を抱いた覚えや不満を持った覚えは一切無いのですが、
それは私が小学校に入ったか入って居ないか多分入って居ない頃、
話の始まりやその他の内容は忘れました、
忘れましたが、確かに母親は私に言ったのです、
「お母さんとお父さんの間には、ベルリンの壁が在るの」
…信じたんです。
幼児だった私にベルリンの壁が本当は何で在るかなんて解りよう筈が御座居ません。
その日から私の頭の中で、ベルリンの壁と言うものはA知県T田市に在るものと認識されました。
T田は私の最初の家族が少しの間一緒に暮らして居た唯一の場所で、多分父親の地元です。
母親の地元で現在の居住地で在るK都とT田の間なんだから、順当に考えればM重かS賀の何処かで在ると推測されるのでしょうが、そんな事すら解らない程に、私は幼かったのです。
元々父親の事に興味を抱いて居た訳では無いので、自分から母親や家族に父親について話す乃至尋く等と言う事は無く、
だからこそ誤解は私の中で大きな存在にこそならないにしろ常に存在仕続け、
それは私が現在と同じ身長に成長する迄在り続けました。
女手ひとつで私の様な子供を育ててくれた事には感謝してもしても足りず、
これ迄もこれからも私に取って誰より大切な人で在る事には変わり無いにしても、母には言いたい事が在ります。
…子供は何でも信じるんだから、やめてよね!!!