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青八木一は考えない。古賀さんはパンをくれる。

「………………また来たのか、鏑木」


げんなりした表情の先輩にも、もう慣れた。
机に肘をつき前のめりになってるが猫背では無い眼鏡の人にそろりと近付くと、呆れたように視線を外される。

俺から目を逸らした後は窓の方を見ている古賀さんの席は、一番廊下側の一番前。
クラス外で学年外から来た俺が話す為にこっそり入っていても目立ちにくいし、古賀さんもすぐ俺に気付くし、でも逃げにくい。
絶好の位置だった。



「いいでしょ、別に。 遊びに来たんです」
「来るな、毎日毎日受験生の所に」
「古賀さんが勉強してたら帰りますよ!」

はぁ、と、わざとらしい溜め息を吐いて俺に向き直った古賀さんは、今日も勉強はしていない。
机の上に在るのは弁当箱らしき包みだけだ。


「減らず口め」

言葉に詰まったみたいに、今度は目だけで視線を外される。



「…昼は、食べたのか?」
「はい、ちょっぱやで弁当を」

古賀さんは今からだろうか。
遊びに来たとは言ったが、正直べつに古賀さんと遊びたいわけでは無い。 邪魔なら帰ろう。


――もう、今はあのひとに会いたいなんて気持ちも失せている。
訊きたい事は何も無いし、どうでもいいし、全く、何も、関係無い。

もし、古賀さんのところに来た時にあのひとが居たら……きっと俺は逃げ帰ってしまうだろう。


今ここに居るのは、惰性か、そうじゃなかったら古賀さんの為だった。
この人だってこんな事を言いながらも来ない日を挟むと 「昨日はどうしたんだ」 とか訊いて来るんだし、ある意味で先輩孝行だ。
古賀さん、いっつも一人メシだし。

……でも、こんなに毎日しつこく三年の階に来てるのに、遭わないものなのか。
誰の事でも、無いけど。



「なら、付き合え」
「え」
「嫌そうな顔するな、押し掛けて来ておいて選択肢が在ると思うなよ」

目立ちにくい場所でも三年の教室はアウェイ感がすごいから長居なんてしたくない。
出来るだけ目立たないように机と壁との間に座り込んで挟まり、少し話して、十秒くらい沈黙が続いたら大人しく帰る。
いつものお決まりの展開は、古賀さんが立ち上がった事によって流れを変えた。

弁当らしき包みを持って教室の外に出る古賀さんの後に続く。 渋々。


合宿で初めて知ったけど、この人はけっこう短気でけっこうジャイアニズムだ。
流石は、キャプテンを倒せば自分がキャプテンだろと言う世紀末覇者みたいな持論でもって古賀の乱を起こした男だった。

…でも、何もかもどうでもよさそうな笑顔でロードレーサーの整備ばかりしてた古賀さんよりは話しやすくなった。
言う事きついけどけっこう面白いし。




弁当を持っているのに購買に寄った古賀さんについて歩き、中庭の芝生……その隅に座る。

もう冬と言っていい季節だけど、今日は暖かいし、陽は当たるけど風の流れが全然無い場所だったから寒くない。
やっぱ三年生はこう言うとこ知ってんだな。
後で段竹にも教えてやろう。



隣に座る人が開く弁当箱は大きかった。
古賀さんもよく食うな、と、思ったら、脳が別人の影を自動で思い出させる。 連想ゲームみたいに。

…あんな掃除機、どうでもいい。
大食いで早食いの割に動きが無くて平然としたヘンな食べ方を、物が吸い込まれて消えたみたいだと謎の敬意でもって俺たちの学年から陰でそう呼ばれていた事を思い出す。
あと、なんだっけ。 ぎゅういんばしょく。
こっちは自分で思った事を思い出して、すぐに頭を振って文字通りに振り払う。
どうでもいいんだ、だから。

そしたら、隣の人に 「人が食ってる横で鬱陶しい」 と顔面を押さえ付けられた。
せめて頭だろ。 ひどい。


ブレーンクローから逃れて、ちょっとだけ古賀さんから離れた場所に座り直す。




古賀さんが弁当を食べてる間はだいたい無言、たまに部活の話を訊かれたら答える。
毎日押し掛けてるから毎日会ってるし、俺から訊きたい事は今は無い。


暇だから空を見上げる。
雲が多いけど、晴れ間はきれいだ。

…また音沙汰が無くなったオレンジビーナの神様は、いったいどうしただろう。



「ほら、鏑木」
「は?」

神様の知り合いだからって最近はあのひとの事ばかり訊いてたから嫌われたのだろうか、とか考えながら、ゆっくりと流れて形を変える雲を眺めていたら、古賀さんに声を掛けられた。
ちょっと振りに視線を戻すと、弁当は食べ終わったらしい古賀さんが購買で買ったパンの袋を俺に向けて差し出して居た。
ハムとチーズが入ったやつ。 くれんのか?



「……これ、一も好きだと思う」

ハジメ、

誰だよと思ったけど、よく考えたらあのひとの名前だった。

あおやぎはじめ。


……考えたくない。 どうでもいい。



「…へえ」
「だから、持ってけ」

普通に要らないから押し返そうとしたら、古賀さんに更に押し返し返される。
ぱり、とパンの包装が中に詰まった空気で動く音が聞こえて、そのまま潰してしまうわけにもいかないから押すのはやめて受け取った。
本当にくれるらしい。


少しだけくたびれたパンの袋を、中身に影響が無いくらいに引っ張って伸ばす。
古賀さんが食べ物をくれるなんて、珍しい。

鳴子さんや小野田さんなら…あと手嶋さんも、よく細々したお菓子をくれたりするけど、古賀さんからは春くらいにバルブキャップを貰った覚えしか無い。

そういや、昨日は今泉さんがくれたアミノなんとかの粉をそのまま舐めて怒られた。
水に溶かして飲むのならそのまま舐めて後で水を飲んでも同じ事なのに、げせない。



「……………………」

「……………じゃ、俺は教室戻るから」
「あ、はあ、あざっした」


今泉さんってどうでもいい事ですぐ怒るし身長高いくせ結構ガキっぽいよな、とか考えてたら、古賀さんは立ち上がってそのまま肩で風を切り戻って行った。

徒歩だから轟音は鳴らない。
ちなみに、走ったらちょっと鳴る。


置き去りにされて芝生に座ったまま、携帯を確認すると休み時間はまだ二十分以上残ってた。




「古賀さんもちょっぱやだな」


時間も在るから片付ける事にして、パンの袋を開けた。





◆◆◆





風呂から上がって、部屋に戻る。
寒くて暗く乾いた空気にスイッチで灯りと暖房を入れてから、顔に掛かる前髪をクリップで頭の上に固定した。

…で、また過去問に向き合う。


学校での休み時間にも机にかじりついて受験勉強、授業が終われば即帰宅で飯と風呂と寝る以外はずっと勉強だった。
勉強漬けだ。

ロードレーサーは今や単なる通学用の自転車で、部活をやっていた頃が遠い昔のようだった。



ふと気になり、自分の太股を触ってみた。
部屋着越しに触る筋肉に力を入れたり、曲げたり伸ばしたりしてみる。

少し、細くなった気がしなくも無い。



「…青八木一 必殺純正、バンビスタ」


……やめた。

つい、集中し足を太くしてみようかと思ったが、ペダルも追走者も無いのに意味が無い。
変形して何をする気なんだ……、勉強か。




――仕方無いよな、今は。


公園に、木陰に、神様。
今までしていた道草から遠ざかったら、何一つ考えたい事が無くなった。

元々自分が何を考え何を想い生きていたのかさえわからなくなったような気分で、それを思い出す為に頭の中を整理したら……ロードしか残らなかった。



器用な性質では無い俺は中学の頃から生活と思考の殆ど全てがロードレーサーに埋め尽くされていた。
今だって、ロードの事以外は何も考えたくない。


そして、ロードの事を考えるなら大学には行きたいからだ。



社会人チームに入るとしても高卒では狭まる選択肢が在るし、来年プロ入りなんて無論現実的では無い。
学生の本分で在る勉学だってきっちり修めたなんて到底言えない。
インハイで自身の未熟さを思い知った事も在る。
ロードでも勉強でも、まだ研鑽を積むべきだ。


インカレにも当然興味は在る。
規模が大きくなる分インハイよりも出場は狭き門だろうが、その資格すら無ければ可能性はゼロになる。


『インカレだって、カレッジ通ってないと出られないんです』

その通りだった。
記憶の中の段竹に頷いていたら、明滅する携帯のLEDが視界に入った。



受験勉強と…それから逃避行動。
一石二鳥だったから勉強ばかりをしてるだけで、携帯の確認もしない程に余裕が無いわけでは無い。
手を伸ばして携帯を取り、ロックを解除して開いた通知に表示されてた名前は…少し意外な人物だった。


【古賀公貴】

長身で体格の良い眼鏡の男を思い出す。

合宿以降、長年置いていた距離を戻して元通りよりも近くなれたと思う存在だが、そもそも元々が特に親密では無かった。
大切な仲間では在ったが、携帯を通して雑談するような事も無い。
部活も引退した今、連絡が来る心当りは無かった。


目指す大学は違っても一般受験同士、勉強漬けは同じ筈だ。
何が在ったのか気になり、そのままメッセージを開いた。




[今日、パン食べたか?]


……………………パン?



公貴からのメッセージは、それだけだった。

パン…、 「食べたか?」 と続くからには食パンとかあんパンとか焼きそばパンとかのパン…だろう。

田所さんの影響や早食いの披露で俺の好物はパンなのだと思われてるような発言を部員からされる事は在ったし、大好物とまでは言わないが確かにパンは好きだ。
送信先が間違ってないのなら、そう言うような話だろうか。

…考えても解らなかったから、単純に質問として捉え考え直す。
そうしたら、心当りは無くも無かった。


今日のうちの夕飯はソーセージのポトフで、 バゲットも半分くらい食べた。
それか。




[ポトフと食べた]


それなわけは無い、が、シンクロニシティにしても一応在った心当りになんとなく満足して、返信をした。
何にしても話を続ければその真意も知れるだろう。

すぐに返って来た返事が、画面の下に追加される。




[そう、よかった]



…………よかった?


やっぱり、わからなかった。
俺が今日パンを食べたかどうかで純太と賭けでもしたか…、いや、それならこの時点でそう言うだろう。

五分程、続きが来ないか画面を眺めてみたが、何も無い。
何故か床に正座で待ってしまったから疲れた。

…公貴も、疲れてるのかも知れない。




ロードも勉強も、休養が大切だ。


今日は俺も日付が変わるまでには寝る事に決めて、公貴には [勉強、頑張り過ぎないように頑張れ] と送った。




青八木一は考えない。古賀さんはパンをくれる。



  
2016/12/01(公開)
















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